部屋の中は、沈黙に包まれていた。
銃声は、響かなかったからだ。
美礼は、引き金を引いた格好のまま固まっていた。
その手に構えていたはずの銃の感触は無く、ただ空を掴むだけだった。
「……何故」
唇を噛み締め、唸るように美礼が呟く。
「何故、邪魔をするのですか。支部長」
言葉と共に、美礼の眼光がこの支部長室の主であるセンリを射抜く。
その眼に込められた意思は苛烈で、気の弱いものならば気絶しかねないほどだ。
だが、その苛烈な視線をセンリは事も無く受け流す。その表情には、常と変わらぬ微笑が浮かんでいた。
そして、その手にはつい先程まで美礼の手に握られていたはずの拳銃があった。
如何なる手段で自分の手から銃を奪ったのか、それは美礼にはわからない。
仮にもエージェントたる自分の上司なのだから、それぐらいのことはやってのけるだろう。
だから、それは重要ではなかった。重要なのは、何故センリがCETPをかばうのかという、その一点。
いかに支部長であるセンリがやったこととはいえ、生半な理由では許せそうにない。
とはいえ、上司であるセンリに手を上げることなど美礼にはできない。そしてまた、美礼はセンリを信頼している。
理由もなしにセンリが自分の邪魔をするはずがない。
故に、今の行動の理由をセンリに問う。
視界の端にぼうと呆けているCETPが写った瞬間、思わず隠しナイフを投げつけそうになったが、
それを無理やり抑えてセンリに視線を向ける。
「彼を傷つけることは禁止します。彼は既にT指定から外されています」
「なっ……! 何故です!? 今回の規模の事件を起こした者が、何故T指定から外されるのです!?」
納得がいかないどころではなかった。
一度T指定――殲滅対象に指定されたものが撤回されるなど、これまで一度としてなかったことだ。
T指定に認定される条件として、人命の損失、というのがある。
人の命を奪ったCETPは、例外なく殲滅対象に認定される。
今回の場合、青那の住んでいた場所の近くで起きた殺人事件がそれにあたる。
調査の結果、その事件がCETPによるものだということがわかった。
そして、事件付近に住んでいるCETPは、水槻青那ただ一人。故に、彼のCETPにT指定が下されたのだった。
それなのに、そのCETPからT指定を外すとは、一体どういうことなのか。
その道理の通らぬ決定に、美礼の心は沸騰する。
「クトード先生の“診断”と明依さんの報告書により、あの事件は彼が起こしたものではないということがわかりました。
人を傷つけていないCETPにT指定をかけることは出来ません」
「っ……、しかし、彼は私に向かいその能力を開放しました。その結果、私の装備のいくつかは大きく破壊されました」
センリの冷静な声によって告げられた事実に、美礼は一瞬口をつぐむ。が、すぐに反論を返す。
「それも問題にはなりません。報告書によれば、美礼さんは警告すらせずにいきなり発砲し、それに対する彼の反撃は貴女を
傷つけるものではなかったとあります。2回目の交戦時も、貴女自身は傷つけずに武器のみを破壊した、とも。
その事実とクトード先生の“診断”の結果を踏まえれば、彼に貴女を傷つける意思がなかったことは明白です」
「…………」
次いで続けられたセンリの言葉に、美礼は今度は反論できずに俯いた。
「わかりましたか、美礼さん」
美礼は俯いたまま答えない。
「…………それでも」
少しの沈黙の後、美礼は顔を上げないまま小さく呟いた。
「美礼さん?」
「それでも、そいつはCETPなんです! 今は大丈夫でも、いつか必ず人を傷つけるに決まっています!」
叩きつけるように叫ぶ。それは、まぎれもない美礼の本音だった。
道具を使わず、身体を動かさずとも人を殺せる存在。それがCETPだ。
そんな化け物が人間の近くにいれば、悲劇が起こるのは目に見えている。
優れた道具を手に入れた人間がそれを使わずにはいられないように、CETPは己の持つ異能を使わずにはいられない。
美礼は己が過去に、経験としてそれを知っていた。
だから、すぐそばにいるCETPを生かしておくなんてことは出来ない。
「美礼さん!」
出来ないのだが、センリの言葉を無視することもまた出来なかった。
ぎり、と音がなるほど強く、奥歯を食いしばる。少なくとも、今、ここでCETPを殺すことは出来ない。
「……失礼します」
CETPへの殺意を押し殺し、部屋の出口へと向かう。
その途中、ありったけの殺意を瞳に込めてCETPをにらみつけてやった。
びくり、と身体を震わせる様子が美礼には愉快であり、同時に何故かとても不快でもあった。
再び部屋の中に沈黙が訪れた。
沈黙を破ったのは、はぁ、というセンリのため息だった。
「あの子にも困ったものですね」
微笑みを苦笑に変えて言ったその言葉には、深い慈愛が込められているように感じられた。
それはまるで、我が子を見守る親のように青那には思えた。
親のいない青那には、そんなセンリの姿がとてもまぶしく映る。
「青那さん? どうしました? どこか具合でも?」
思わず俯いていた青那に、センリの声がかかる。
「え、あ、いえ、大丈夫です」
うそだった。確かに体の怪我はほとんど跡形もなく消えており、問題はない。
だが、
(「それでも、そいつはCETPなんです! 今は大丈夫でも、いつか必ず人を傷つけるに決まっています!」)
先程美礼が発したその言葉は、青那の心に深く突き刺さっていた。
CETPであるということ。それは青那にとって覆すことのできないコンプレックスだ。
CETPは念じただけで炎や冷気、雷などの自然現象を起こすことができる。
そしてその異能は、ナイフや拳銃よりも容易く人を傷つけ、殺すことができる。
意思ひとつで人を傷つけることができる自分が、たまらなく怖かった。
青那は、自分が聖人君子だとは思っていない。いや、それどころか善人でもないと思っている。
腹が立つことだってあるし、人を憎むことだってある。
青那は、それが怖い。
いつか自分が憎悪に任せて人を傷つけるのではないかという、そのことが怖い。
だから美礼の言葉は、青那の一番痛いところに突き刺さって外れない。
そんな青那の様子を見て、センリは軽く頭を下げた。
「すみません。あの子が失礼なことを言ってしまって。あの子の代わりに謝罪します」
「あ、いえ、そんな。頭をあげてください。僕は、その、気にしてませんから」
大人に目の前で頭を下げられ、青那は大いに慌てた。
謝ることには慣れていても、謝られることには慣れていないのだ。
元より気の弱い性格である。大の大人に頭を下げられても、どうしたらいいのか戸惑うだけだ。
「気にしていない、ですか。青那さんの様子では、とてもそうは見えませんよ」
「う……」
そのとおり。気にしないなんて、できるわけがない。
美礼の言葉は、青那の心に大きな傷をつけた。いや、心の傷に杭を打ち込んだと言ったほうがいいか。
決して外れないように返しがついた杭を、深く深く心に打ち込まれた。
けれど、それは、
「……いいんです。あれは、本当のことですから」
そう、美礼の言葉は真実だ。
自分はいつかきっと、この能力で人を傷つけるだろう。あるいは、殺してしまうかもしれない。
それが真実であるがゆえに、青那の心はより深く傷を負う。
「青那さん……」
心の痛みが顔に出てしまったのだろう。センリが気遣わしげに声をかける。
「と、とにかく、僕は大丈夫ですから。……それより聞きたいことがあるんですけど」
「はい、どうぞ。私に答えられることならば、お教えしますよ」
「えっと、ここはどこでしょうか?」
自分でも今更な質問だとは思うが、同時に知っておかなければいけないことだとも思う。
あまり遠くだと、夕飯までに家に帰れなくなる。そうなると、待ちぼうけをくらった綾瀬は怒るだろう。そして、すごく心配する。
“家族”に心配をかけるのは、まっぴらごめんだ。
そんな思いを知ってか知らずか、センリはあごに手を当て、
「ここですか? ここは支部長室ですよ」
そう答えた。
「い、いえ、それはそうなんですけど。僕が聞きたいのはそうではなくて……」
「はい、わかってます。今のはちょっとした冗談ですよ」
笑顔でそう告げるセンリに、青那はがっくりと肩を落とした。
センリは来客用のソファーを指して、
「そうですね。いくつかお話したいこともありますし、あちらに座ってお話しましょうか」
「は、はぁ……」
なんだかどっと疲れてしまったので、座れるのはありがたいといえばありがたかった。