12月25日。
その日、聖なる夜には白い雪が舞っていた。
街は白く染まり、多くの人々はホワイトクリスマスを家族や恋人と共に楽しんでいた。
その街の片隅にある、孤児院を兼ねた教会でも、ささやかなクリスマスパーティーが行われていた。
……そう、つい先程までは。
僅か5分前には暖かな笑いに満ちていた教会の中はしかし、今は鉄に似た匂いと、赤い、赤い色で満ちていた。
教会の中には大人、子供合わせて10人以上の人間が存在していた。いや、かつては人間だったもの、か。
大小五つ以上の肉片になって飛び散ったものを、人間とは呼べないだろう。
彼らは皆、いくつもの肉片となって床や壁に飛び散り、周囲を赤く染め、物言わぬ骸となっていた。
そんな骸達の中、一人呆然と立ち尽くす人影があった。
それは、まだ幼い少年のものだった。
少年の瞳は虚空を見つめるかのように焦点が合っておらず、目の前に広がる光景を認識していないようだった。
無理も無い。幼い、まだ未熟な心が受け止めるには、その光景は凄惨すぎた。大の大人とて、気の弱いものならば気を失うかもしれない。
日常から乖離したその光景から心を守るため、少年はあえて認識する事を放棄しているのだろう。
しかし、そんな自己防衛で、いつまでもごまかせるはずも無く、
「う、うわあぁぁ!?」
背後から聞こえてきた悲鳴によって、その意味を失った。
少年が後ろを振り向くと、そこにはしりもちをついた青年の姿があった。
青年はよくこの教会の手伝いにくる、近所の大学生だ。今夜は子供たちのために、バイト先から特大のクリスマスケーキを貰ってきた
ところだった。
「あ……」
少年は、腰が抜けたように座り込んだ青年に手を差しのべ、
「ひっ……!」
青年の脅えた声に、その手を引っ込めた。
青年は恐怖に染まった眼で少年を見ていた。少年がその視線を追うと、そこには、赤く、赤く染まった小さな手が――。
それは空白になっていた少年の心にじわじわと染み込むように認識されていき、そして、
「あ、ああ……? あああぁぁぁぁ!?」
理解した瞬間、その映像を受け入れられず、少年の心は砕けた。
聖なる夜に奇跡など無く、教会にはただ少年の壊れた叫びだけが響いていた。
「――っ!」
眼を開き、バネ仕掛けの玩具のように飛び起きる。
痛みすら感じるほど激しく鼓動する胸を、服の上から強く押さえる。
嫌な汗が全身にだらだらと流れ、すごく気持ち悪い。だが、胸の痛みを堪えるのに精一杯で、汗を拭う事すらかなわない。
青那に出来るのは胸を強く掴み、身体を丸め、痛みの波が過ぎるのをひたすらに待つことだけだった。
一分か、あるいは十分か。
いくらかの時が流れ、どくり、どくりと不気味に波打っていた胸も、どうやら落ち着きを取り戻したようだった。
胸を掴んでいた手をゆっくりとはずし、汗を拭う。
何とか周りを見渡すだけの余裕が出来――、青那のすぐそばで固まっている少女と目が合った。
茶色がかった黒髪のショート、どこかの制服らしき衣服に身を包んだ少女は、びっくりしたような表情で固まっていた。
誰もいないと思っていたところに突然人がいたため、青那もどうしていいかわからず固まってしまう。
目を合わせたままお互いが固まってしまったため、自然と見つめあうような形になる。
青那は自分から進んで人に話しかけるような性格ではない。従って、普段まともに会話をする異性なんて、家族同様の綾瀬くらいしかいない。
当然、そんな青那に女性に対する免疫など無い。
しかも、目の前にいる少女はかなり可愛らしい顔立ちをしており、有り体に言って美少女だった。
みるみるうちに青那の顔が赤く染まっていく。
「あ、あの……」
二人の声がかぶった。
いつまでも見つめあっていても埒が明かないと少女に話しかけようとしたのだが、どうやら向こうも同じように考えていたらしかった。
非常に気まずく、照れくさい空気が二人を包む。
しかし、ここで黙ってしまえば、またお見合い状態に戻ってしまう。青那は今度こそと再び少女に話しかけ、
「あの……、あ」
再度、二人の声が重なった。
「え、えっと、そっちからどうぞ」
「い、いえ、そっちこそどうぞ」
お互いに譲り合って進展しない、駄目な日本人的やり取りをする二人。
そんなやり取りを何度か繰り返していると、
「やれやれ、一体何をしているんだ、お前達は」
二人の頭上から、呆れたような声がかけられた。
その声に、弾かれたように離れる青那と少女。慌てて声の聞こえてきた方を見る。
二人の向いた方には手摺りのついた階段があり、そこには20代半ば位の若い男が立っていた。
長身に白衣を引っ掛け、眼鏡をかけたその男は、どうやら医者らしかった。
眼鏡越しでも分かる鋭い瞳は、今は呆れたように細められている。
「ク、クトー先生」
クトーと呼ばれたその男は、青那と少女に向かってゆっくりと近づき、
「こんなところで何をしている、橘。センリが困っていたぞ」
「え? センリさんが?」
「使用した弾丸の報告書が未提出だそうだ。油を売ってないで、早く出してやれ」
「あ……」
クトーの言葉にしまった、という顔をする少女。そんな少女に、クトーの呆れの視線が突き刺さる。
「す、すみません! すぐに出してきます」
その視線から逃げるように部屋から出て行く少女。それを見送ってから、クトーは青那に向き直った。
「う……」
クトーの鋭い視線に射抜かれ、思わずひるむ青那。
そんな青那を観察するように、クトーは微動だにしない。青那はその視線に嫌悪感を感じ、声を上げる。
「な、何ですか」
「どこか痛むところはあるか?」
その言葉に、あらためて身体を確かめる。結果、痛みはおろかひきつりすらない。
全身に裂傷を負っていたとは思えないほどの全快ぶりだった。
「その様子なら、大丈夫そうだな。まったく、でたらめな身体だ」
身体のあちこちを確かめる青那をみて、クトーがそう告げた。
指で眼鏡を押し上げるその様子は、どこか不機嫌そうにも見える。
「あの……、怪我の手当ては、あなたが?」
「私は医者だからな」
青那の問いかけに、答えになっていない答えを返すクトー。その姿は、やはり不機嫌そうだった。
そのまま無言で青那のことをじっとみる。
(うぅっ!?)
滅茶苦茶気まずかった。どうしていいのか分からず、青那は動けずにいた。
何故か蛇に睨まれた蛙という言葉を思い出す。
別にとって食われるわけではないのだが、なんとなく居心地が悪い。
かといって、目の前の目付きの鋭過ぎる医者に話しかける勇気も無かった。
そんな青那をしばらく眺めてから、クトーはふいに視線を逸らした。そして、懐から何かの端末らしき機械を取り出し、
「念のため、いくつか問診を受けてもらう」
事務的な口調でそう告げた。
「へ? あ、はい」
「それでは、まず――」
闇の中より意識が浮遊する。
眼を開く。眠っていた頭を一秒とかけずに覚醒させ、身体の状態をチェックする。
――腹部に重度の損傷を確認。血液量の不足を確認。 以上の理由により、戦闘行為は困難と判断。
次いで、痛む身体をなるべく動かさないよう、目線だけを動かして周囲の様子を探る。
――GOTHR支部の医務室と判断。
今いる場所が自分の所属する組織の施設と知り、少女は力を抜いてその身をベッドへ埋めた。
ベッドの上に、少女の豊かな赤黒の髪が広がる。
「ふぅ……」
少女の口から、知らずため息が漏れた。
このところ、まともに休息を取っていなかったこともあり、強い疲労感を感じる。
休息を求める身体の欲求に逆らわず身を横たえたまま、何故自分が医務室で寝ているのか、思考を巡らせる。
(確か、この付近で発見されたCETPの殲滅に――)
そこまで考え、がばりと身を起こす。
「くっ……」
途端に腹部の怪我が激しい痛みを発する。歯を噛み締め、焼きつくような痛みを堪えながら動く。
隣のベッドにたたんであった上着を着込み、医務室を出る。
一歩踏み出すたびに走る激痛を無視し、人気の無い廊下を急ぐ。
目指すは、支部長室。
支部長にあのCETPがどうなったのか聞かなくてはならない。
「もし、まだ生きているようなら、今度こそ……!」
呟き、駆けるようにしてい急ぐ。そして、速度を落とさず角を曲がろうとしたとき、
「ひゃっ!?」
向こう側から歩いてきた人間とぶつかってしまった。
「ごめんなさい、大丈夫?」
足を止め、尻餅をついている相手に手を貸す。相手はその手を取りながら立ち上がり、
「す、すいません。……って、美礼さん!? もう動いてもいいんですか?」
驚きの声を上げた。
「明依? 丁度良かったわ。あの後どうなったか教えてちょうだい」
「え〜と、あの後、と言いますと」
「あなたの能力で脱出した後のことよ」
はやさか みれい たちばな めい
赤黒の髪の少女――早坂美礼に詰め寄られ、少女――橘明依は目を逸らしながら答える。
「え〜っと、ですね」
「明依?」
あからさまに挙動不審な明依に、美礼が訝しげな声を上げた。
「わ、私からはちょっと言えないので、センリさんに聞いてください!」
「支部長に?」
「は、はい。ちょうど私も書類を出しに行くとこだったんです。一緒に行きましょう」
口元に手をやり、思考する。
明依が言えないという事は、自分に伝えると何かまずいことがあるか、あるいは口止めされているからだろう。
ああ見えて明依は中々頑固だし、正式な命令として口止めされてるなら無理に聞き出す事も出来ない。
ならば上司であり、より状況を把握しているであろう支部長に話を聞いた方が良いだろう。
二秒とかけずに思考を終わらせ、返事を待っている明依に向かって頷く。
「わかったわ。それじゃ、行きましょう」
言うなり、さっさと歩き出す。
「あ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ〜」
返事も待たずに歩き出した美礼の後ろから、明依の情けない声が廊下に響きわたった。
廊下を早歩きで歩く事、十数分。美礼と明依は支部長室の前に立っていた。
両者共に息を切らせていたが、その理由は大きく異なっていた。
明依が息を切らせているのは、単純に体力の問題だった。
競歩もかくやという速度で歩く美礼についていけず、十数分間小走りで走り続けた所為で運動不足の肺が悲鳴をあげたのだ。
一方、美礼が息を切らせているのは、身体の問題だった。
本来ならば絶対安静の大怪我を負っている身体を無理やり動かした所為で、傷が開いたのだ。
痛みで額にうっすらとにじんだ脂汗を拭う。
「……だ、大丈夫……ですか?」
息も絶え絶えに明依が問う。
「……問題ないわ。貴女の方こそ、大丈夫?」
「は、はい……。何とか」
言葉の通り、明依の呼吸は元に戻りつつあった。
それを見て、美礼も意志の力で息を強引に整える。そして、目の前の扉へと声をかけた。
「支部長、早坂美礼です」
すぐに部屋の中から返事が聞こえてきた。
「どうぞ、お入りください」
男とも女ともつかない中性的な声が告げた後、目の前の扉が音を立てて開いた。
「失礼します」
「し、失礼しま〜す」
美礼は短く告げ、部屋の中へ入る。それに明依がおっかなびっくりと続く。
「支部長、お聞きしたい事が……」
部屋に入ると同時に美礼が発した言葉が、途中で止まる。
部屋の中には3人の人間がいた。
一人は、この部屋の主であり、この支部の最高責任者である支部長。
線のような細い目を弓なりに曲げ、常に浮かべている笑みのままに美礼達を迎えている。
一人は、この支部の医療施設の責任者である、Drクトー。
切れ長の鋭い瞳が、眼鏡の下から美礼達を見ていた。
そして、最後の一人。それは、まるで妖精の様に可愛らしい顔立ちの少年だった。
氷を思わせる青色の瞳が、驚きに見開かれている。
その少年を視認した瞬間、美礼の手は上着の内側から拳銃を抜いていた。
銃を抜き、流れるように照準を合わせる。
急激な動きに傷が痛みを訴えるが、意志の力で感覚をカット。一時的に痛覚を遮断する。
美礼の動きに反応して少年が構えるが――、遅い。
このタイミング、この距離ならば、たとえ少年が氷壁を張ろうとも、それごと撃ち抜ける。
既に狙いは頭部に固定してある。あとは引金を引くだけで、少年を物言わぬ骸に変えることが出来る。
美礼は引金にかけた指に力を込め――、躊躇うことなく引き絞った。