ぴしゃり、と血液が床にぶちまけられる。

それを見て青那が思い浮かべたのは、

(あぁ、そろそろ本当に死ぬかも)

という思いだった。そう、床に広がる赤い液体は、青那の右肩より流れたものだった。

氷剣が少女を貫き、その命を奪うと理解した瞬間、何かを思うよりも早く体が動いた。

ぼろぼろの身体は少女を庇うように、氷剣と少女の間に駆けた。

そして僅かに残った力を振り絞り、氷の壁を眼前に作り出した。

結果として、氷の壁は一秒も持たずに氷剣に破壊され、その刃は青那の身体をも貫いた。

しかし、氷の壁を破壊する事で僅かなりとも勢いが削がれたのか、本来ならば人間の身体如き紙のように切り裂くはずの氷剣は、

青那の肩を貫くだけにとどまった。

自らの限界以上の速さで動いた所為で、息が荒くなる。身体が酸素を求め、何度も肺へと酸素を取り込む。

(血が、足りない……)

肺へと取り込まれた酸素を身体へと運ぶための血液が圧倒的に不足している。結果、息苦しさはいつまでもなくならず、

青那は過呼吸を繰り返す。

そんな青那の姿を見て、少年が戸惑ったように声をあげる。

「お、おいおい。お前、何考えてんだ? 自殺願望でもあんのか?」

息が荒い。酸素が足らない所為で頭がぐらぐらする。全身のありとあらゆる部分が痛い。

「ハッ……ハッ……ハァ、僕は……」

「あ?」

それでも、何とか声を出す。出てきたのは、掠れた弱々しい声だったが、正直これが限界だった。

「僕は……、人が死ぬとこ、なんて、見たくないだけ……だ」

「おいおいおいおい、お前、頭大丈夫か? そいつはお前の事殺そうとした奴だぜ?」

青那の言葉に、何言ってんだこいつ、という顔をする少年。青那の後ろに居る少女も、理解できないモノを見る目を青那に向けている。

「それでも……、もう誰かが死ぬところなんて、見たくないんだ!」

吐き出すように、青那が叫ぶ。それは、青那の心からの叫び。思い出すのは、自分の代わりに死んでいった少女の姿。

大声を出した所為で頭がふらつき、立っていられなくなる。倒れそうになる身体を、傍にあった柱に手を突くことで何とか支える。

「お前……」

青那の叫びに何かを感じたのか、少年が口を開く。しかし、その続きが言葉になる事は無かった。

突然少年が後ろへと跳んだ。一瞬遅れて、乾いた音と共に床に小さな穴が開く。

それを見もせずに、少年はさらに大きく跳ぶ。それを追うように、床にいくつも穴が開いていく。

狙撃。目の前の光景を青那がそう理解したときには、既に十を越える数の穴が床や壁に開いていた。

「ちっ」

少年は舌打ちと共に動きを止め、氷の壁を作り出す。作り出された氷壁に次々と穿たれる穴。しかし突き破るほどの威力は無いのか、

弾丸は氷壁の中でその動きを止めている。

氷壁に埋まった弾丸が二十を数えたところで、それまで途切れなく撃ち込まれていた銃撃が止んだ。

銃撃が止むと同時に少年は氷壁を解除、一瞬の停滞も見せずに銃弾を打ち込んできた方向に手を掲げる。

力を手の先へ集め、その力が形を成すよりも早く発射する。

撃ち出された力は空中で周りの分子を巻き込みながら結晶化し、細い棒のような形状を取る。幾つかに別れて飛んでいくそれらは、所謂矢で

あった。先の弾丸に匹敵するスピードで飛ぶ氷の矢は、狙い通り狙撃者が居るであろう場所を穿った。

「……やった、か?」

しん、と静まり返ったビルの中に、少年の声が響く。

青那には、狙撃者がどうなったかを知る術はない。しかし、視認することも難しいようなあの矢を避けれたとは思えない。

そんな青那の考えを他所に、少年はいつでも動けるように身構える。その姿に油断は無く、青那は少年を中心に空間が張り詰めていくような

感覚を覚える。

1秒。 

2秒。 

3秒。

何事も起こらないまま、3秒が経過した。青那は緊張で我知らず止めていた息を、ゆっくりと吐き出す。その途中、青那は見た。少年の斜め後

ろの窓より、何かが投げ入れられたのを。

放物線を描き飛んでくるそれを、少年は振り向きもせずに氷柱で貫いた。
           ・ ・
氷柱に貫かれた何かはその身を破裂させ、凄まじい閃光でもってその場に居た全員の目を焼いた。

「ちっ」

「くっ」

「うわっ!?」

暴力的なまでの光量に目が眩み、青那は一瞬平衡感覚を失った。倒れこみそうになるのを何とか堪える青那の耳に、背後から何かが着地す

るような音が聞こえ、次いで聞き覚えの無い声が聞こえてきた。

「手を伸ばして――!」

真っ白に染まった視界の中、咄嗟に声のほうへ手を伸ばす。すると、手が細く柔らかな何かに包まれた。

それが人の手だという事に気付くと同時、強く引っ張られるような感覚と共に青那の意識は闇に飲まれた。

 

 

秒針が半周ほど回った後、少年はゆっくりと目を開けた。

まだ少し目がチカチカするが、見えないことは無い。少年は目に感じる痛みを無視し、辺りを見渡す。

視界に入るのは、薄汚れた廃ビルの光景のみ。先程まで存在していた人間の姿はどこにも無かった。

少年は無言のまま意識を集中させ、周囲の気配を探る。が、センサーに引っ掛かるものは何も無い。おそらく、既に少年の索敵範囲内の

外にまで出てしまっているのだろう。

元々自分は戦闘に特化した能力であり、探査は専門外だ。当然、索敵範囲の外に逃げた敵を追う術など無い。同じCETPである青那に関して

ならばもう少し探知距離は上がるが、その反応も無し。

完全に、逃げられた。

少年はそう判断し、忌々しげに舌打ちを一つ。そして、懐から携帯電話を取り出す。もちろん、これはただの携帯電話ではない。

外見こそ市販の携帯電話の形をしているが、その中身は比較にならないほどの高水準なものだ。

BI−CETP――脳を極限まで強化されて創り出されたCETPによって改造されたそれは、既存の物とは比べ物にならないほどの性能を誇る。

現代の技術力では、この通信機による通信を盗聴、妨害することはまず不可能だ。

その通信機に向かい、少年がいらだたしそうに告げる。
                ターゲット
                                ターゲット  ロスト
「こちらフュンス。目標には接触したものの、GOHの妨害により確保に失敗、目標を見失った」
         ターゲット                      
『了解しました。目標の位置はこちらで探査しますので、一度ホームまで帰還してください』

通信機より聞こえてきたのは無機質な声による事務的な返答だった。その感情の希薄な声を聞き、少年の胸にさらなる苛立ちが沸き起こる。

その苛立ちを吐き出すように息を大きく吐き、気持ちを切り替える。

「了解。……それともう一つ、アレは見つかったか?」

『未だ発見されていません。現在、エルフィティが捜査を続けています』

「そうか。……わかった、今からそっちへ戻る。通信、終わるぞ」

言葉と共に通信を切り、懐へと仕舞う。

そして――、いきなり近くの柱を殴りつけた。

轟音が響き渡り、鉄の柱が陥没する。柱を殴りつけたその手からは、血が一筋だけ滴り落ちる。

「くそがっ……! どいつもこいつも……っ」

その一撃で気が済んだのか、少年――フュンスはまっすぐに出口へと歩いていく。その歩みは迷い無く、速い。

建物から10歩ほど離れた地点で、ふとその足が止まる。誰に言うとも無く、少年は呟く。

「厄介な事に、なりそうだな」

舌打ちを一つ。そして再び歩き出す。今度は立ち止まる事は無く、フュンスは街の中へと姿を消していった。

 

 


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