出血でふらつく頭を押さえながら、青那は声の方を見た。

そこに居たのは、一人の少年だった。動きやすそうなラフな格好に身を包み、片手をこちらへ向けている。

遠目で詳細までは分からないが、口元に不敵な笑みを浮かべているのは確認できた。

少年は笑みを浮かべたまま、一歩こちらへ踏み出す。

少女はその動きに反応し、大きく後ろへと跳び、少年からも、青那からも距離を取る。

そんな少女を一瞥し、少年はゆっくりと歩き始める。その先にいるのは、全身を血で赤く染めた青那だ。

こちらへ歩み寄ってくる少年を見ながら、青那は不思議な感情を覚えた。

それは、懐かしさ。まるで生き別れた肉親と再会したかのような感情が、青那の胸中に去来する。

少年が近付くにつれ、出血過多で霞んだ目にもその容姿を見ることが出来るようになった。

細くしなやかな肢体に、おそらく青那よりも若干高い背丈。

その整った容姿は、細い体躯とあいまって、見る人間に女性的な印象を与える。

長く伸びた髪を、根元のところで無造作にくくっており、それがさらに少年を女性的に見せている。

しかし、最も青那の目を惹いたのは、その眼だった。
                   ディープ・ブルー
まるで深海のような深く、暗い濃紺色の瞳。

その瞳を見ているだけで青那は、どこまでも堕ちていくような感覚に囚われた。

その瞳に呑まれ、呆然としていた青那だったが、すぐそばで鳴った足音に我に返る。

見れば、少年がすぐ目の前まで近付いていた。

青那が少年を見上げると、少年の笑みの質が変わる。不敵なそれから、侮蔑のそれへと。

「ったく、無様なモンだな。この程度の相手に、ここまでやられるたぁな」

少年の口から出たのは、声変わり前特有の高い声。

しかし、その綺麗な声で紡がれたのは青那と少女、両方に対する嘲りの言葉だった。

「な……」

訳が分からなかった。状況から見て、先程少女の銃を弾き飛ばしたのはこの少年だろう。

いきなり現れて命を助け、かと思えばこの言葉。一体この少年は何なのだろうか。

先程の言葉の所為か知らないが、青那は少年に懐かしさと、同時に嫌悪感も感じていた。

これには青那自身も驚いていた。

基本的に、青那は人を嫌うということがほとんど無い。

昨夜命を狙われ、ついさっきも危うく殺されそうになった少女にさえ、青那は嫌悪や憎悪の感情を持っていない。

感じるのは、精々が恐怖と危機感くらいのものだ。

青那が嫌悪や憎悪の感情を抱くのは、“家族”に危害を及ぼす者に対してのみだ。

この状況では“家族”に危害が及ぶ可能性は無く、従ってこの場の人間に負の感情を感じることは無い。

そのはずだった。

しかし実際には、青那は目の前の少年に嫌悪、否、憎悪といえるほどの感情を抱いていた。

自らの内に突如として生まれたその感情を振り切るように、青那は叫ぶ。

「キミは……、一体何なんだ!?」

青那の叫びを受け、少年は笑みを浮かべたままそれに答える。

「オレが何かって? おいおい、ずいぶんと寂しい事言ってくれんじゃねぇか。えぇ、兄弟? オレは悲しいぜ」

そう言う少年の顔は確かに笑みをかたどっていたが、その目は笑ってなどいなかった。

見下すようなその目に、青那は気圧される。

「……くっ。さっきも言ってたけど、その兄弟っていうのは何のこと? 僕は、キミなんて知らない」

「はっ、オレの事をしらねぇ、か。冷てぇよなぁ。同じ場所で生まれた仲だってのによ」

「同じ、場所……?」

青那はCETP――人に創られた存在だ。故に生まれる時も、人間の腹から生まれたのではない。

青那が生まれたのは、CETPの研究所。他のCETP達と一緒に、カプセルの中で創られた。

そんな青那と同じ場所で生まれたということは、それはつまり、

「まさか、キミも……」

「はっ、気付くのがおせぇんだよ。そうだ、オレもCETPだよ――」

少年の言葉を最後まで聞くことは出来なかった。青那と少年のすぐ近くで、爆音が生じたからだ。

青那は音のした方を振り向く。そこには、氷の壁が立っていた。

その氷は、青那が作ったものと違い、深く、暗い濃紺色に染まっていた。

氷の壁に赤い華が咲き、それと同時に爆音が響く。

それは、少女の使う炸裂弾の爆発だった。

2回、3回と爆発が起こるが、氷の壁はびくともしない。

それでも弾丸を撃ち続ける少女を、少年は煩わしそうに見て、告げた。

「うるせえよ、お前」

その言葉と共に、少女の周囲の空間より現れる氷柱。

氷柱は少女が反応するよりも速く、その細い身体を貫いた。

「か……はっ……」

地面に倒れ伏し、吐血する少女。痛みと出血で息をするのも苦しいのか、その姿は酷く痛々しい。

まだかろうじて生きているようだが、すぐに手当てをしなければ、間違いなく命を落とすだろう。

少年はそんな少女を一瞥し、すぐに興味を失ったように視線を青那へと戻す。

「……で、どこまで話したっけな? ……そうそう、オレがCETPだってとこまでだったか」

ごく自然に話しかけてくるその姿に、青那は恐怖した。

この少年はたった今、人に死に至るほどの傷を与えた。にもかかわらず、そのことを微塵も気にしてはいないのだ。

まるで虫を潰すかの如く。邪魔な石を蹴飛ばすかの如く。

それは、人の命をなんとも思っていない。意識せずに人を殺せるということに他ならない。

何の感慨も抱かずに人を殺せる、というその在り方が、青那は怖い。

そんな青那には構わず、少年は喋り続ける。
      ナンバー
「オレの認証番号はICE-H57-382だ。これが何を意味してるか、解るか?」

首を横に振る青那。それを見て、少年は口元を歪める。
                          フリーズ
「はっ、まあそうだろうな。創られてすぐに凍結処理された失敗作じゃ、知らなくても仕方無えよなぁ」

少年の口から出るのは、悪意に満ちた言葉。それを聞いて、青那は気付く。

自分が少年に憎悪を感じるのと同様に、少年もまた、自分を激しく憎んでいるということに。

「キミは……」

青那は何か言おうと口を開く。しかし、言うべき言葉は見つからず、口を閉ざす。

と、少年が頭を僅かに後ろにそらす。その直後、一瞬前まで少年の頭があった空間を、黒い影が通過する。

同時にちっ、というかすかな音がして、少年の頬が浅く裂ける。

細く裂けた頬の傷口。そこから赤い雫がたらり、と流れる。

「ふん、やるじゃねぇか。さっきので死なねぇどころか、反撃してくるたぁ、よ」

その言葉に、青那は少女が居た場所を見る。

そこには、身体の数箇所に穴を開けながらも、こちらへ銃を向けている少女の姿があった。

生命が危ぶまれるほどの出血で、顔からは血の気が失せ、蒼白になっている。

息は荒く、どう見ても死人の一歩手前の状態の身体。

しかし、それでもなお、その眼光から力は失われていない。

鋭く研ぎ澄まされた意志を乗せ、少年と青那を睨みつけている。

「はっ、勇敢なこった。死ぬんなら、せめて道連れに、ってか」

少女の視線に動けなくなった青那の横で、少年が嘲るように言った。

それも、青那には信じられなかった。あのような酷烈な視線を受けながら、何故そのような言葉を口に出来るのか。

青那の宇宙人を見るような視線を受けながら、少年は言葉を続ける。

「そういう馬鹿は嫌いじゃねぇ。嫌いじゃねぇが―――、オレに傷を付けたのはやりすぎだ」

その言葉と共に高まっていく少年の力。

その力の高まりは、先程氷柱が現れたときの比ではなかった。

周囲の気温が下がり、少年を中心に冷気が渦巻く。

少年が右手を突き出すと、冷気がそこに集中していく。

少年の手に宿りしは、全てを凍らせる永久凍土。それはあらゆる生き物にとって、死神の鎌に他ならない。

そして、その死神の鎌は、解き放たれる瞬間を今か今かと待ち構えている。

少年の力を見て、少女が何とか回避しようと身じろぐ。しかし、主の意思に反し、死に向かう身体は僅かに身じろぎしただけだった。

それを見て、少年が嘲笑う。

「はっ、消えろや」

嘲笑の表情のまま少年が告げた一言で、その手に集められた力が解放された。

冷気の塊は空中でその身を巨大な剣へと変え、真っ直ぐ少女へと飛んで行く。

飛来する巨大な氷剣を前に、少女は己が手に持つ愛銃を握り締める。

少女の拳銃では、あの氷剣は破壊できない。それは使い手である少女自身が誰よりも良く分かっていた。

それでも少女は銃を構える。その目に絶望は無く、ただ強く研ぎ澄まされた意志のみがあった。

少女に向かい巨大な氷剣が高速で飛来し―――、

 

肉を抉る音が、ビルの中に響いた。

 

 


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