みなつきせいな
「あなたが水槻青那?」
バイトからの帰り道、青那はそう声をかけられた。
声をかけてきたのは、今年で高校2年生になった青那よりもいくつか下に見える少女だった。
光の加減で赤にも見える黒髪を無造作に背中に流し、黒いコートを着込んだその少女は、その黒い瞳でこちらを見ながら返事を待っている。
そんな少女の姿に、青那は違和感を覚えた。
これが昼間の街中だったならば、なんということもなかった。だが、現在の時刻は午後10時を少し回ったところ。
目の前にいるような少女が出歩くには少々遅い時間ではないだろうか。
おまけに黒いコートである。おそらく実用一点張りで外観など全く考えられていないそのコートは、少女が着るには少々、いやかなりごつい。
そんなコートを着込んだ少女の姿は、周りの闇も手伝って酷く不吉な印象を与える。
出来れば関わり合いになりたくなかったが、声をかけられた以上無視するのも失礼だろうと青那は口を開く。
「確かに僕は水槻青那だけど…キミは?」
もしかしたらどこかで会っただろうかと、青那は質問を返す。
しかし、その質問に答える声は無かった。
返事の代わりに向けられたのは、少女が右手に構えた黒い―――拳銃だった。
「なっ……!」
理解できない光景に混乱する。無理も無い。夜道で知らない女の子に銃を向けられたら、誰だって混乱する。
(拳銃?何で?本物?玩具?どっきり?今日の夕飯なんだろう?狙われてる?どこかにカメラは?)
一瞬の間に様々な思考が駆け巡る。…一部おかしなものも混ざったが。
とにかく気を落ち着けようと息を大きく吸い―――背中に流れた悪寒に、思いっきり横へ跳ぶ。
青那が跳ぶのと同時に、空気が抜けるような音が聞こえ傍にあった電柱に穴が開いた。
それを見て、青那の顔が引き攣る。
これで少女の持っている銃が玩具などではないことがはっきりした。……嬉しくないが。
そして本物の拳銃で狙われている以上、どっきりである可能性はまず無い。
結論。命がライブで大ピンチ。
(っ!ヤバイ!)
再び走った悪寒に、咄嗟にしゃがみこむ。と、何かがもの凄い勢いで頭の上を通過する。
もしあのまま立っていたら、身体のどこかに風穴が開いていただろう事実に青那は戦慄する。
銃弾をかわせたのは、正直ただの幸運だった。そうそう何度もかわせるとは限らない。
それを証明するかのごとく、胸に衝撃を感じた。
「え…」
撃たれた、と思う間も無く青那の身体は地面に叩きつけられていた。
「――――」
受身をとれず頭を地面にぶつけたおかげで、一瞬意識が飛んだ。
目の前が真っ暗になり、それから徐々に視力が戻ってくる。
銃で撃たれたにも関わらず、それほどの痛みは無かった。その事を不思議に思うが、そんな場合ではないと気付き必死に思考を働かせる。
(まず、身体は動かせる。痛みはそんなに強くないし、出血も無いみたいだ。
次に状況は……去っていく足音は聞こえなかったから、おそらくあの娘はまだすぐそこにいる。…拳銃をもったまま。
なら、どうする? このまま死んだふりを続ける? いや、それは不味い。近寄られればばれるし、そうでなくてももう一発撃たれれば
それで終わりだ。なら、あの娘を取り押さえる? …無理だ。銃弾をかいくぐることなんて出来ないし、仮に出来たとしても女の子に乱暴は
出来ない)
命の危機に瀕した所為か、普段の数倍のスピードで思考が回る。
(現状維持は不味い。かといって攻める事も出来ない。なら僕に出来る事は―――)
そこまで考え、青那は決断する。生き延びるためには手段を選んでいられない、と。
胸に銃弾を受けた青那の身体が地面に倒れるのを見ても、少女は気を緩めたりはしなかった。
銃弾が少年の胸――心臓部分に命中したのをその目で見たにも関わらずに、だ。
事前に調べたデータによれば、目の前に倒れている少年は銃弾の1,2発で死ぬようなかわいい存在ではない。
故に少年を見る眼に油断は欠片も無い。距離を取ったまま照準を青那の頭へと移す。
目標までの距離はおよそ6メートル。青那の上半身は電灯の光がギリギリ届かない位置にあり、はっきりと視認する事が出来ない。
しかし少女はそんなことはお構い無しに銃を構える。
その銃口の先には確かに青那の頭があり、後は少女が引金を引くだけで少年の頭には風穴が出来るだろう。
少女はそれを――命を奪うという事実と、その罪をはっきりと理解している。
理解しててなお、躊躇い無く引金を引く。寸前、闇の中に青い光を見た気がした。
それを怪訝に思う間もなく弾丸は飛んで行き――突如として現れた氷の壁に阻まれた。
「!?」
少女が驚愕に眼を見開く。その一瞬の隙に、胸を撃たれたはずの青那が立ち上がる。
咄嗟に身構える少女を見て、青那は全力で駆け出す。
少女とは反対の方向へと。
青那からの攻撃に備えていた少女は、青那のあまりに予想外の行動に一瞬動きが止まる。
しかしすぐに我を取り戻し、目の前にある氷の壁に銃弾を叩き込む。
連続して撃ち込まれる銃撃に耐え切れず、氷の壁は音を立てて砕け散る。
その向こうには、今まさに曲がり角の向こうへ姿を消そうとする青那の姿が。
咄嗟に発砲するが僅かに遅く、撃ちだされた銃弾は虚空を貫いただけだった。
「くっ」
ならばと後を追おうとし、そこで異常に気付いた。
足が動かせない。走り出そうとした勢いのままに転びそうになり、慌てて足元を確認する。
そこには、辺りの地面ごと凍りついた自分の足があった。
「な…」
いつの間に? どうやって?
疑問は多くあったが、分かったことはひとつだけ。即ち、
「逃げられた、か…」
少女はそう呟き、ため息を一つだけついた。